ほぼ日手帳と、人生と、桜と
システム手帳の便利さを頭の中ではわかっていて、ときどきシステム手帳を使って感動しています。しかし、しばらくすると、ほぼ日手帳に戻ってしまいます。 |
なぜなんだろうと、自分でもよくわからないのですが、なぜか、ほぼ手帳に戻ってしまいます。
今日、なんとなく感じたのですが、ほぼ手帳は、もしかしたら、やりなおしが効かないのが良いのかもしれない。
桜が散ってゆくように、一頁ずつ後戻りが効かない。
たくさん書き込んだ一頁は、後日付け足して書くことはできるけれども、システム手帳のように、あとから差し替えることはできない。
散った桜を元に戻せないように、そして、今散った桜と、来年咲く桜が、似ているけれど別の桜であるように、今年のほぼ日手帳と、来年のほぼ日手帳が似ていても、違うほぼ日手帳であるような、そんな類似性を感じます。
桜に代表されるような日本的な情緒を、ほぼ日手帳に感じているのかもしれない。 桜は、散ってゆくから儚く美しいのであり、人生にも終わりがあるからこそ生が美しい。ほぼ日手帳の一頁も、終わりがあるから美しく大切なものである。
そんなふうに感じました。